高松高等裁判所 昭和35年(ネ)127号 判決 1960年11月30日
控訴人 井口高義
被控訴人 山地泰靖
主文
原判決を取消す。
被控訴人は控訴人に対し、別紙目録記載の不動産につき、高松法務局昭和二六年三月五日受付第二一三七号を以てなされた売買予約を原因とする所有権移転請求権保全の仮登記及び同局昭和二八年六月二四日受付第六九三〇号を以てなされた売買を原因とする所有権移転登記の各抹消登記手続をせよ。
訴訟費用は第一、二審を通じ被控訴人の負担とする。
事実
控訴人は、主文同旨の判決を求め、被控訴人は、本件控訴を棄却する、控訴費用は控訴人の負担とする、との判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述は、控訴人において、本件売買予約を締結した当時における別紙目録記載の不動産(以下、本件不動産という。)の時価は四五万円位であつたのであるから、僅か金四万五千円の債務の弁済に代えて本件不動産の所有権を債権者に移転するような契約をする筈がない。すなわち、右売買予約の真の内容は本件不動産を右債務の単なる担保に供するという趣旨であるからすでに予約完結権が行使された後においても控訴人において右債務につき弁済供託した以上売買予約を原因とする仮登記並にこれに基く本登記は抹消すべきものであると述べ、被控訴人において、右主張事実は争うと述べたほかは、原判決摘示事実と同一であるから、ここにこれを引用する。
証拠として、控訴人は甲第一号証、第二号証の一、二、を提出し、原審証人中山弘、井口マサ子の各証言並に原審における控訴人本人訊問の結果を援用し、乙第一号証、第六号証、第九号証、第一一号証は何れも官署作成部分のみ成立を認め、その他の部分は不知、爾余の乙号各証はいずれも成立を認める(但し、乙第一三号証は控訴人の署名捺印以外の手形要件は全部白地のまま振出されたものである)と述べ、被控訴人は乙第一ないし第一四号証を提出し、原審における控訴人本人訊問並に原審裁判所が職権を以てなした被控訴人本人訊問の各結果を援用し、甲号各証の成立を認めた。なお、当裁判所は職権をもつて控訴人及び被控訴人各本人の訊問をなした。
理由
本件不動産にはその登記簿上次のような登記、即ち(一)昭和二六年三月五日高松法務局受付第二一三七号、原因同年同月同日売買予約、権利者山地忠二、なる所有権移転請求権保全の仮登記(以下(一)仮登記という。)(二)昭和二八年六月六日同局受付第六三一八号、原因同日権利譲渡、取得者被控訴人、なる(一)仮登記の移転登記(以下(二)仮登記という)(三)昭和二八年六月二四日同局受付第六九三〇号、原因昭和二六年三月五日売買、取得者被控訴人、なる(一)仮登記の本登記(以下三本登記という)が存在すること、及び昭和二八年三月一六日高松簡易裁判所において控訴人と被控訴人との間で次のような各条項、即ち(1) 控訴人は被控訴人に対し約束手形金四万五千円及び高松地方裁判所昭和二八年(ワ)第二三号事件の訴訟費用中金千円の合計四万六千円を昭和二八年四月一七日被控訴人方に持参支払うこと。(2) もし控訴人において前(1) 項を履行しないときは控訴人は被控訴人に対し前(1) 項の金四万六千円及びこれに対する前(1) 項所定の期日の翌日より年一割の割合による利息を附加して一時に支払うこと。(3) 被控訴人は控訴人において前(1) (2) 項の履行をしたときは本件不動産に対する(一)仮登記の即時抹消登記手続をすること。なる各条項を内容とする調停が成立したことは、当事者間に争いのないところである。
ところで、成立に争いのない甲第一号証、乙第三ないし第五号証乙第七号証、乙第八号証、乙第一〇号証、乙第一二号証、官署作成部分につき成立に争いなくその他の部分は原審における被控訴人本人訊問の結果真正に成立したことの認められる乙第六号証、乙第九号証、控訴人の署名捺印部分につき成立に争いなくその余の部分は原審における被控訴人本人訊問の結果真正に成立したことの認められる乙第一三号証、及び原審並当審における控訴人、被控訴人各本人訊問の結果を綜合すると、昭和二四年二月頃被控訴人はその息子である訴外山地忠二の代理人として控訴人に対し金六万円を、利息月八分五厘の定めで貸付け、その後控訴人から一部弁済がなされた結果残元金が四万五千円となつたところ、同年九月二五日債権者たる右訴外人の代理人である被控訴人と控訴人との契約により、右残債務四万五千円を目的として貸付元金四万五千円、弁済期日同年一〇月二五日、利息月六分、とする消費貸借に改め(準消費貸借)且右債務の支払を担保するため当時控訴人の所有であつた本件不動産につき、控訴人が弁済期に支払を怠つたときは債権者たる右訴外人は一方的意思表示で売主を控訴人、買主を右訴外人、右貸付元金を売買代金とする売買を成立させることができる旨の売買の予約を締結し、その際控訴人は右債務の支払手段として額面四万五千円、支払期日同年一〇月二五日、の約束手形一通を右訴外人宛に振出すと共に不動産売買予約契約証書、不動産売渡証書、登記申請委任状等、売買予約に基く仮登記及び将来予約が完結された場合の本登記に必要な書類を右訴外人の代理人である被控訴人に交付したこと、ところが控訴人が弁済期日に支払をしなかつたので昭和二六年三月五日に至り右訴外人は右登記申請書類を使用して自己を権利者とする(一)仮登記をなし、次いで被控訴人は右訴外人から右債権及び売買予約上の権利の譲渡をうけると同時に右登記用書類を譲受け且右約束手形の裏書(白地)譲渡をもうけた上、控訴人を被告として右約束手形金請求の訴(高松地方裁判所昭和二八年(ワ)第二三号事件)を提起したところ、これに対し控訴人から被控訴人を相手方として高松簡易裁判所に調停の申立(同庁昭和二八年(ノ)第二五号事件)をなし、その結果昭和二八年三月一六日の調停期日に、控訴人において右債権及び売買予約上の権利の譲渡を承諾(但し、後に認定するように売買予約の性質は右調停によつて変更されるのであるが)のうえ、被控訴人との間に前説示のような条項を内容とする調停が成立したこと、しかるところ控訴人は右調停により定められた履行期をも徒過し被控訴人からの請求に対しても支払をしなかつたので、同年六月六日被控訴人は右訴外人から(一)仮登記の移転をうけ((二)仮登記)、同月八日差出しその頃到達の内容証明郵便を以て、控訴人に対し、右移転登記を受けたこと、及び右郵便到達の日より五日以内に債務の支払をなすべきこと、若し右期間内に支払のないときは仮登記に基く本登記をする旨通知し、以て支払の催告並に停止条件付売買予約完結の意思表示をなしたけれども控訴人が右催告に応じなかつたので、被控訴人は同年六月二四日前記不動産売渡証書、登記申請委任状を使用して(三)本登記をなしたこと、如上の各事実を認めることができる。而して原審並当審における控訴人、被控訴人各本人訊問の結果中右認定に抵触する部分は措信しがたく、他に右認定を覆すに足る証拠はない。
一、ところで、昭和二四年九月二五日成立した本件売買予約は、貸付元金を四万五千円とする準消費貸借に基く控訴人の債務を担保するため、控訴人が弁済期日(同年一〇月二五日)に右債務の履行を怠るときは、債権者は控訴人に対する一方的意思表示により売主を控訴人、買主を債権者、売買物件を控訴人所有の本件不動産、売買代金を四万五千円(右貸付元金をもつてこれに充てる)とする売買契約を成立させることができる旨の約定を内容とするものであることは既に認定したとおりであるが、前顕乙第八号証、乙第一〇号証並に原、当審における被控訴人本人訊問の結果によれば、右約定は文言どおり、債権者の予約完結権の行使により売買が成立し、貸金債務は売買代金と相殺される結果当然消滅する代りに本件不動産の所有権は債権者に移転し、以て一挙に貸金債務が決済される(換言すれば債務の弁済に代えて本件不動産が譲渡される)趣旨であつたことが認められる。つまり当初の約定のままならば債権者において予約完結権を行使した以上、その後控訴人において貸金債務弁済の余地はないものといわなければならないわけである。
二、しかるところ、その後債権者たる訴外山地忠二から右準消費貸借上の債権並に売買予約上の権利を譲受けた被控訴人と控訴人との間で前説示の如き条項を内容とする調停が成立したことは既に認定したとおりであるところ、右調停時において被控訴人が控訴人に対して有していた権利は(イ)、貸付元金を四万五千円、弁済期日昭和二四年一〇月二五日、利息を月六分、とする準消費貸借上の債権(ロ)、右債権を担保するために締結された前記一、掲記の如き趣旨の売買予約上の権利即ち予約完結権(ハ)、右(イ)の債権の支払手段として振出された額面四万五千円、支払期日昭和二四年一〇月二五日、の約束手形債権、の三つであるから、この三つの権利が調停の結果どのように変更されたかを検討するに、調停条項(1) 項を見ると該調停は右(ハ)の約束手形債権のみを対象としてなされたかの如く見えるが、右調停は元来被控訴人から提起された右(ハ)の約束手形金請求の訴に対し、控訴人から調停の申立がなされた結果成立したものであるため、そのような表現がとられたものと推認されるのみならず、調停条項(3) 項及び原、当審における控訴人本人訊問の結果によると、右(イ)(ロ)(ハ)の三つの権利を共に対象としてなされたものであることが認められるから、
(一)、先づ(イ)、(ハ)、の債権(これは元来当事者間では一方の弁済により他方も消滅する関係にあるのであるが。)は調停条項(1) (2) 項により履行期が延期され、利息(遅延損害金)が修正されて結局債権額四万五千円、履行期昭和二八年四月一七日、右期日後の遅延損害金年一割、なる債権に態様が変更されたものといわなければならない。
(二)、次に、(ロ)の権利はどうなつたかを考えるに、右調停条項中には、たゞ(3) 項に、控訴人が(1) (2) 項の債務を履行したときは被控訴人は(一)仮登記の抹消手続をすべき旨の定めがなされているのみで、他に(ロ)の権利に関する定めはない。すなわち、控訴人が(1) 項所定の債務の履行期を徒過した場合に(一)仮登記に基く本登記ができる旨の定めがないと同時に、また本登記手続を禁止する定めもないのであるが、たゞ(3) 項が債務完済までは明らかに仮登記の存続を認めている点から考えると、本調停によつて本件売買予約関係引いては被控訴人の売買予約完結権が消滅したとは解しがたい。なぜならば売買予約関係が消滅したとすればこれに基づく仮登記を存続すべき原因を失うし、また実体上売買予約完結権のない仮登記を存続させることは無意味であるからである。更に原審証人中山弘の証言、原審並に当審における控訴人、被控訴人各本人訊問の結果によれば、右調停の期日において被控訴人は、控訴人が履行期に所定の債務の支払を怠つた場合にはその支払に代えて本件不動産の所有権を取得できるよう明定されたい旨申出たが、調停主任、調停委員等が債権額に比し右不動産の価額が著しく過大であるとの理由でこれを容れなかつたこと、被控訴人は右のような事情のため該調停条項には不満足であつたけれども事件解決のためこれに応じて調停が成立したものであることが認められ、右の事実と調停各条項を合せ考えると、右調停は被控訴人に対し債権額(元金)四万五千円と訴訟費用千円との合計四万六千円及びこれに対する年一割の遅延損害金をこえる利益を与えない趣旨で成立したものと認めるのが相当である。そこで如上の諸点及び調停各条項を彼此勘案すれば、本件売買予約の担保としての性質(当初はその実質は債務の弁済に代えて本件不動産を譲渡する趣旨であつたことは既に説示したとおりである。)は調停の結果、債務者が履行を徒過したときは債権者において売買予約完結権を行使して右不動産の所有権を取得したうえこれを処分してその代金で右債務を精算すべき(代金が不足すれば不足分だけ債務は残り、代金に余剰があれば余剰分を債務者に返還する)趣旨のものに変更されたものと認めるのが相当である。
してみれば、被控訴人は調停後もなお、右のような意味での担保権の行使として、控訴人が調停条項所定の債務を履行しないときは売買予約完結権を行使しうる筋合であるから、被控訴人が売買予約完結権を行使し仮登記に基く(三)本登記をしたことを以て違法とすることはできないが、たゞ、被控訴人は未だ本登記をした本件不動産の処分並に債権精算の手続をしていないことは原、当審における被控訴人本人訊問の結果認められるから、未だ控訴人の債務は消滅しておらず、したがつて控訴人が債務を完済したときは担保権は消滅するから、被控訴人は本件不動産の所有権を失い、仮登記及び本登記を抹消しなければならないわけである。
そこで控訴人が調停条項所定の債務を完済したか否かにつき検討するに、成立に争いのない甲第二号証の一、二、原審並当審における控訴人本人訊問の結果によると、控訴人は昭和三二年一二月頃訴外造田平太郎を介して被控訴人に対し調停条項所定の債務金の支払を申出たところ、被控訴人は右申出を拒み、その提供があつてもこれを受領しない意思を明らかにしたので、同年同月一〇日控訴人は高松法務局に対し調停条項所定の債務金元金として金四万六千円及びこれに対する履行期日の翌日である昭和二八年四月一八日より供託日である昭和三二年一二月一〇日まで右条項所定の年一割の割合による利息(遅延損害金の意味)として金二万千三百五十九円、合計金六万七千三百五十九円を弁済供託したことを認めることができ、原審における被控訴人本人訊問の結果中右認定に反する部分はたやすく措信しがたく、他に右認定を左右すべき証拠はない。しかるところ控訴人が右供託前被控訴人に対し現実に弁済の提供をなした事実は認められないけれども、債務者が仮に提供しても債権者がこれを受領しないことが明確なときは、債務者は提供しないで直ちに供託できるものと解すべきところ、右認定のように被控訴人は提供があつてもこれを受領しない意思を明らかにしたのであるから、控訴人の供託は適法であり、且金四万六千円に対する昭和二八年四月一八日より昭和三二年一二月一〇日までの年一割の割合による金員は金二万千三百八十六円(円未満切捨)であること計数上明らかであつて、供託額は真実の債務額に二七円だけ不足するが、右不足額は全債務額に比して極めて僅少であつて右は控訴人の誤算に基くものであることは弁論の全趣旨に徴し明らかであるから、このような場合供託は有効にして、右供託額の範囲において債務は消滅したものと解するのが相当である。してみると、右供託によつても当時二七円だけ債務が残存していたことになるけれども右は全債務額に比し極めて僅少部分にすぎず、一方本件不動産の時価は少くとも一〇〇万円をこえることが原、当審における控訴人本人訊問の結果うかゞえるのであるから、右のような事情のもとでは信義則上、被控訴人は本件不動産に対し担保権を主張し仮登記並に本登記の抹消を拒みえないものと解するのが相当である。
されば、(一)仮登記並に(三)本登記の抹消登記手続を求める控訴人の本訴請求はこれを認容すべきであるから、これを排斥した原判決は失当であつて取消をまぬかれない。よつて民事訴訟法第三八六条、第八九条、第九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 石丸友二郎 安芸修 荻田健治郎)
目録
高松市古馬場町八番地の一五
一、宅地 二〇坪一合四勺
同所同番地の一五
家屋番号同町第八番の一五
一、木連瓦葺二階建店舗
建坪 九坪七合五勺
外 二階 六坪